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結婚して子供が生まれて幸せだったのに鬱になって無職になった話

今週のお題「人生最大の危機」
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この記事は

✔ 私の体験談
✔ 鬱病のつらさ
✔ 鬱病の克服方法
✔ その後の生活


について書いています。
読み終わるまでの所要時間はおよそ5分です。



鬱病になる前の生活

私はその頃、営業の仕事をしており
転勤や出張を繰り返したり、休日返上で働くような
仕事中心の生活をしていました。


私(当時)の性格はというと

・真面目で責任感が強い
・負けず嫌いで根性論者
・完璧主義者で潔癖症
・熱血で猪突猛進

だったように思います。


私は10代の頃から精神疾患を抱えていました。



などいろんな病名をつけられました。
でも、その頃の自分にはハッキリとした自覚がなく
ただ身体がおかしいな?どうしちゃったんどろう?
というような感覚でした。


希死念慮もありました。
しかし妻と出会って無我夢中で働き始めた頃には
ほとんど病院に行くこともなく、薬もやめていました。

10年越しの結婚と最愛の子供の誕生

妻とは10代で付き合い20代で結婚しました。
子供は結婚後ほどなくして生まれます。


私は家族や愛情にコンプレックスがあったように思います。
その分、妻にも子供にも精一杯の愛情を注いでいます。


しかし、それが仇となって返ってくることになります。

鬱病の再発


キッカケは明確ではありませんが
いろんなことが同時に起こり、環境の変化が激しかった
ことは大きな影響があったと思います。

mikisatoshi.hatenablog.com

結婚と子供の誕生

毎日激務の仕事を終えて、真っ先に子供のところへ
育児に疲れた妻を助けたい一心で
オムツ交換や沐浴など率先してやりました。


夜中に何度も起きる子供を交代で抱っこ。
小さな命と愛する妻を守るために全力を尽くそうとしました。

ちょっと高めの家賃のマンションから安くて広いアパートへ引っ越し

子育てをするのに実家から遠かったこともありますが
地元に戻り腰を据えて頑張るためにも引っ越しをすることにしました。

職場での出世と転勤命令

家族を守るためには仕事でお金を稼がなければいけません。
ガムシャラに頑張った結果、出世を果たし年収はアップしました。


しかし、そこから残業は増え、責任も大きくなりました。
更には転勤を迫られることになります。


私はだんだんと何のために働いているのか
わからなくなっていきました。
妻や子供との生活のために働いているのに
家に帰るのは日付が変わってから、起きたらすぐに出社。
休みもクタクタなのに電話が鳴り響きます。

環境が激変したこととプレッシャーに押し潰される


プツッと何かの糸が切れました。このままではマズイと精神科を受診することに。


ここで担当医から、うつ病の再発を告げられます。
そして私はひっそりと転職を決意することになります。

転職先で待っていたのは地獄だった


私はほとんど燃え尽きていたのでしょう。
今までの仕事に比べたら、簡単な内容であり
労働時間も短いのに、10分が1時間のように感じられ
まったく意欲が湧きませんでした。

夕方頃には帰宅するも、ご飯は喉を通らず布団にうずくまった。
夜は寝付けず朝方までグッと耐えていた。


たった1週間で5キロも体重が落ちた。
ご飯は味がしない。
人の声が遠く聞こえる。
感情がどこかにいってしまったようだった。



私は...妻に打ち明けました。
働かなければならないことはわかっていること。
家族を本当に大切に想っていること。
そして「なのに、死にたくなってしまう」こと。

希死念慮がもっとも苦しかった

その正体は、おそらく焦燥感
家族を想うが故に、強いプレッシャーと焦りを感じてしまう。


そして、それが出来ない自分に
許せない気持ち情けない気持ちでいっぱいになりました。


男として夫として父親として
家族に迷惑や心配をかけ続けるくらいなら、いっそのこと...
そんな気持ちにもなりました。


その日から毎日毎日弱音を吐きました。あまりにも衝動が抑えられなくて妻に弱音を吐きました。
もう自分ではどうしようもなかったのです。

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無職になり専業主夫と通院の日々

抜け殻のような生活を送っていくことになります。
一日を生き延びるのに精いっぱい。


この頃の生活費は傷病手当もありましたが
妻のパート代と貯金を切り崩さないといけませんでした。


徐々に減っていく銀行口座を怖くて直視することが出来ませんでした。
無邪気に笑う子供に、何度も謝ることしかできませんでした。

このままではいけない!力を振り絞って動き出す

相変わらず焦燥感や希死念慮はありましたが
半年ほど療養生活をして家族の助けもあり立ち上がる力が湧きました。


まずは会社で働けないなら自分で稼ぐことを考えました。
このとき最初に手をつけたのが仮想通貨投資です。


まだビットコインが10万前後だったと思いますが
なけなしの20万円をビットコインリップルに投資します。
まさに藁にもすがるような思いでした。


毎日チャートと睨めっこして
テクニカル分析やファンダメンタルズの基礎を学び
短期トレードを中心に売買していました。


タイミングがよくバブルに突入し資産は大きく増えますが
その後の暴落もあり数倍程度になって
確定申告によって税金を払うとあまり大きな利益はありませんでした。


その後は長期投資に移行し、元本を抜いて放置しています。
(時間がある時や大きな動きがある時だけエントリーしてます)



次にブログやアフィリエイトを開始します。
正直こちらはまったく上手くいかず数か月でやめてしまいました。
ライブドアブログGoogleアドセンスも不合格)

しかし今になって、はてなブログGoogleアドセンスにも合格
収益化のスタートラインに立てたことは嬉しく思います。

mikisatoshi.hatenablog.com

ハローワークに通い、今後どうするかを考える


そんな簡単に自分で稼げるほど世の中甘くはありません。
あまり自信はありませんでしたが一からやり直す覚悟を決めます。


この先、ずっと仕事をやっていくために必要なことは何か
そんなことを考えて考えて導き出した答えが福祉でした。


・遣り甲斐のあること
・自分の強みを活かせること
・採用の入り口が広いこと
・資格を取れば年収アップが見込めること
・転職もしやすいこと
・何よりも、そこには仲間がいること


こんなふうに考えて、自分のなかでピンとくるものがあったのです。

職業訓練で資格を取得して転職することに成功


医師からは復帰はまだ早過ぎると反対されましたが
私の意思は固く、絶対にやり遂げると心に誓っていました。


医師を説得して傷病手当を打ち切り失業手当へ
そして職業訓練での生活がスタートします。


ここでは本当に様々な年齢層と理由で集まった人達と出会いました。
福祉関連であるからか講師も含め心優しい人ばかりでした。


高校中退者の私にとって何かを学べることはとても嬉しく楽しいものでした。
福祉に向いていると言われたことは大きな自信にもなり
無事に卒業することが出来ました。

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そしていま。
私は正社員として障害者就労支援の会社で働いています。


周りには私と同じ病気の人も
まったく違う病気や障害を抱える人も居ます。


そんな人達を支えることが自分の使命であるようにも感じていますし
逆に支えてもらっているように感じられます。


ここには他の仕事では得られないものがありました。
それが自分にとって鬱病を克服する力になったのかもしれません。
勿論、完治したワケではありませんが
家族と仕事に対し、それから鬱病にも諦めず向き合ったことで
今の幸せがあると確信しています。
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