Free Brain's

障害サポート・メンタルコントロール・資産形成 / 新たなコミュニティ構築を目指すブログ

ドブ色の個性

今週のお題「わたしの好きな色」
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母なる海の鼓動を感じさせる『オーシャンブルー
大空に拡がる爽快な『スカイブルー』

果てしない地球のスケールに『生きている』という単純で何とも不思議な現象を感じる。

別に意味なんてない。ただ生きている。
本来『意味なんて持つ必要ないんだから生きている間はただただ楽しもう』くらいで良いんじゃないかと思っている。
だけどそれじゃあ人間社会というのは生きづらいというのが現実だ。


✔️個性を無くす文化

常識という言葉がある。
常識には時代に合わないものが多いと感じている。
社会にうまく適合するには普通でいなければならない閉塞感が漂っている。


例えば学歴社会。
学力は勿論ある方がいいだろう。
しかしそれを推し測るのが学歴というのはどうだろうか。
今や大卒どころか有名大学でなければ職業選択の自由がないとか劣等感を植え付けられるようなことが常識的になってしまっている。


私に至っては学歴など『ない』に等しい。
それ故に周囲からは好奇の目で見られ、心配され、危険視され、社会から弾き出されることもあった。


当時感じたことは『生きる資格がないのか』という気持ちだった。
社会不適合者として闇に落ちそうになることもあったが、悔しさをバネにして何とか這いずりながら生き延びてきた。


そして最近になってようやくわかったことがある。

✔️支えてくれたのは同じ不適合者

普通の人生であれば相容れることはなかったかも
しれないような人たちと出会い、沢山の励ましや勇気を貰ったし、時には居場所を与えてくれた。
彼らは常識からかけ離れた考えや生活を送っていて、そこには闇はあっても温かい『人間味』があった。
まさに人間力で生きてきた人たちだった。
私が必要としていた『力の原点』がそこにあったように思う。

✔️仕事の考え方と認めれる方法

学歴などなくても仕事はできる。
医者や学者のような専門的かつ資格を要する仕事は別かもしれないが、会社に雇ってさえ貰えれば何とかなることばかりだった。


仕事に求められる知識や技術は、真剣にやれば身に付くもの。最初からアドバンテージを持つ人にもいずれ追い付くことができる。

そこから先は必ずと言っていいほどに『人間力』が必要とされた。
・人がやりたがらないことをやる
・求められることは何かに気付き具現化する
・人を尊重しながら『自分』を表現する
・最終的には常識を打ち破って新たなものを創出することが信頼や評価を生む。


常識や普通でいることに囚われていては一歩抜け出すことは難しい。
だから持たざる者の危機感や勇気は大きな武器となったと感じている。

周りが綺麗な白色ばかりならドブ色の私は嫌でも目立つことになる。
それを必死に隠そうとするよりも『個性』として表現することを選んだ。

✔️ピカソの絵は下手か?

彼は常識をあえて捨てて自分を表現した。
勿論彼が元々正確なデッサンができる技術を持っていたことは知っているが、それよりもその先が重要であることが言いたい。


そのままでは埋もれてしまうかもしれない『個性』を表現することで彼が辿った人生の一端が垣間見れる尊いものとなった。

✔️多様性の時代。

福祉に携わっていると『個性』とは面白いなと思ってしまう。
障害=個性ではないと私は思う。
綺麗事にもハンデなんてない!とは言えない。

でも彼らの人生経験から培った力や心は『個性』であると思っている。
ひとりひとりの価値観は違うし、性格そのものも違う。
非常識な面も持ち合わせているが、根本的な人の優しさや温かさを大切にしている。

そんな人たちが一般的な社会や会社にあるコミュニティよりも団結していたり楽しそうにしている姿を見ると『個性を発揮することの可能性や喜び』『寛容であることの居心地の良さ』『人と関わることで得られる幸せ』を身近に感じる。

彼らを社会不適合者として弾き出すような社会であれば、私はなんの魅力も感じないし息苦しい未来しか想像できない。

働き方やコミュニティの在り方など、ネットの普及も相まって多様性が生まれてきている。
今までとは比べ物にならないほど『個性』を表現する機会も『能力』を発揮できる場所もあるはず。


目の前のキャンバスに何色を塗ろうが自由なはずなのに周りが白で塗ってるから白。
黒を選んだものは変わり者。
青と赤しか持たぬものは弾かれる。
それじゃあ何も生まれようがないし楽しくない。


様々な人と関わり許容し経験することで、どんどん塗り重ねていく色濃い人生を選びたい。
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